消費者の力

子どものクリスマスプレゼントはいつも頭を悩まされる。

子どもにはそうぞうりょく(創造力・想像力)を養って欲しいし、せっかくあげるなら長くつかってほしい。

今年はちょっと早いかな、と思ったが、ダイヤブロックにしてみた。

ところで、オモチャといえば「トイザラス」という人も多いと思うが、「トイザラス」といえば、本場アメリカの「トイザラス」ではモデルガンを扱っていない、ということをご存じだろうか。

初めはもちろん扱っていたのだが、親たちが運動を起こして、子どもが扱うおもちゃとしてふさわしくない、ということを会社側に訴え続けた結果、売り場からモデルガンが消えたそうである。アメリカといえば言わずとしれた銃社会だけに、アメリカのトイザラスに銃がないのはちょっと驚きだ。

アメリカでさえそうなのに、日本では依然としてトイザラスでかんたんに手に入る。

いや、銃社会だからこそ銃の危険性をリアルに感じている人が多いのかもしれない。日本はその点、銃といっても自分とは遠い世界のだれかが使っている物、くらいの認識で、子供にとってはアニメのヒーローが持っている武器と大差ないのだろう。

ここで注目したいのは、同じトイザラスでもアメリカではモデルガンを扱わず、日本では扱っていると言うことだ。トイザラスがモデルガンを店頭に置かないのは、会社のポリシーではない。売れれば当然置くし、売らなければ置かない。モデルガンについては、消費者の意見がとりいれられた、ということだ。

私たちはよく、子供にとって有害な物を提供する側を非難するのであるが、

生産者側も消費者のニーズを反映しなければ売れないのだ。

有害な物に対して市民運動を起こして止めさせるのは大変なことだ。

でもいい物を買う、選ぶということを日常的に行う行為そのものをみんなが心がけることが最終的には世界を変えると信じたい。

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アニメが子どもをだめにする

日本で、一番のビッグビジネスはアニメと言われている。

ちょっと考えていただければおわかりだと思うが、あるコミックが流行すると、テレビアニメ化が決まり、それに伴っておもちゃ、食品、サントラ、映画、文房具・・・・・。商品化は延々と続く。

言い換えれば、アニメーションというのはこれらの商品の長編コマーシャルになっているのである。

以前、日本のアニメとおもちゃの関係を研究し、その成果を書き表した本を読んだ。残念なことにタイトルを忘れてしまったが、わかったらまた紹介したい。

それによると、いまやアニメのストーリーを決めるのは制作者というより、おもちゃ業界だというから驚きだ。

たとえばあるアニメで、主人公がピンチの時に使うスティックがあるとする。子どもはかっこよくてみんなほしがり、こぞって購入する。

ところが、頃を見計らって、ストーリーの中で主人公がそのスティックを手放す、というアクシデントが起きる。

そしてその代わりに新たな武器としてたとえばベルトとか、コンパクトとか、そんなものが登場するのだ。もちろん子どもたちは、まだぴかぴかのスティックをかっこわるいと見向きもしなくなり、新しいオモチャをかってくれ、と親にせがむ。

そして、ポケモンが元祖、というわけでもないと思うが、ストーリーの中にやたらと沢山のキャラクターが出てきて、力の優劣を競うアニメがやたら多い。キャラは違うが構造が同じなのだ。当然子どもはカードを集めだし、お気に入りのキャラクターのグッズをほしがる。

売り上げのいいアニメはパートⅡ、Ⅲ・・・・・と利益を吸い尽くせるうちはどんどん続編が作られ、反対に採算の合わない作品はすぐに打ちきりになる。

それらのアニメは、子どもを食い物にしている、といえないだろうか。

前に「キャラ天国」でもふれたが、これでは子どもに物の大切さは教えられない。

そこでいいたいのは、お母さんたちの世代にむけてだが、自分が子どものことに見たアニメとこれらのアニメとを比べてみてほしいのだ。

今でも昔のアニメの感動シーンを特集する番組は多いと思うが、私たちが大人になってもその感動を覚えているほど、子どもの心にアニメが与えている影響は強いのだ。

子どもにアニメを見るなといっても、無理な話である。

それならば子どもの心の栄養になるようなアニメを見て欲しい。

子どもを食い物にする業界を責めたくもあるが、消費者が選ぶから売れている、ということを考えるべきだと思う。

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リカちゃんは好きですか

子どもが女の子だったら必ず通らなくてはいけないのはリカちゃん人形だ。

私ももちろん大好きだったし、姪も小学校の頃はよく遊んでいた。

ただ楽しいだけでなく、ごっこ遊びは子どもの心を育てるために必要なのだ。

女の子なら誰もが大好きなお人形だが、姪がリカちゃんであそんでいるところを見てびっくりしたことがある。

その日、姪はお友達との都合が会わず、一人で手持ちぶさたにしていた。だから私は、「リカちゃんでもして遊べばいいじゃん」と声をかけてみた。

すると彼女は「え?だって、一人じゃできないよ。」と言ったのである。

彼女曰く、お人形を3体つかうなら動かし手が3人必要だそうで、一人ではリカちゃんを1体しか動かせない、という訳である。

私は驚き、あきれてしまった。

同じごっこ遊びでも、おままごとと人形遊びの決定的違いは、人形なら一人で何役にもなれる、というところだ。それがまた楽しい所でもある。

同じ一人の人間が、話し手と聞き手に次々になり、どちらの気持ちにもなってやりとりを繰り広げることは、相手の気持ち、相手の立場になって物が考えられるようになることにつながるのだと思っている。

同時に、想像力や、自分なりのストーリーを展開していく創作力もかなり鍛えられると思うのだ。

それができないとはどうしたことだろう。

最近の子はみんなごっこ遊びが苦手なのだろうか。

ふと、自分のことしか考えられない子どもが増えているのではないだろうか、と思い、不安になった。

子どもには是非お人形遊びを!

しかし、頭が痛いのが一式そろえたときの値段だ。与えるのはいいが、与えたが最後、今度は「家がほしー」「ドレスがほしー」「家具がほしー」と言われ続けるに決まってる。

最近は定番のリカちゃんのほかにもシルバニアファミリーとかこえだちゃんとかいろいろ選択肢があるから何にはまらせようか今のところ考え中である。

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オーストラリアゲーム事情

日本の子どもとゲームには色々言いたいことがあるのだが、それはいつかまた述べるとして、今回は私がオーストラリアでみたテレビ番組を紹介しようと思う。

いまや「Nintendo」は英語になってしまっているほど、日本のゲームは世界中に広がり、日本経済が世界新出をするうえでの大きな一角を担っている。

以前私が留学していたオーストラリアも例外ではなく、ちょうど日本でゲームがはやりだした頃のようなゲームをめぐる議論が、あるドキュメンタリー番組のなかでくり広げられていた。

私のつたない英語力で内容を聞き取ったところによると、つまり、オーストラリアの親たちも子どもがゲームづけになってしまったことを心配し、嘆いているということだ。理由はやはり、友だちとあそばない、勉強をしない、家族とのコミュニケーションがなくなった、目が悪くなった、など。

日本でももちろん同じような議論はことあるごとにされるのだが、日本はこれよりだいぶ先の状況であり、今や家庭によっては親子でゲームを楽しんでいる。ゲーム世代がもう親になっているのが日本の現状なのだ。それに比べてオーストラリアはちょうど日本のゲームがすごい勢いでオーストラリア国内に入り込んでいたときだったから、失礼ながらそのやりとりを見てなんとなく懐かしいと感じてしまった。

日本と一つ違うのは、そういう親たちの非難の矛先が日本の企業に向かっていたことだ。

「ゲーム」はいまや、間違いなく日本の代表的な「顔」の一つであり、ゲームのせいで日本によい印象を持たない人が増えるのは日本人として悲しいことだと思った。

ところで、私はいつも、外国の子どもと日本の子どもの表情を比べ、日本の子どもの表情が暗いのが気になっていた。表情が豊かでないのだ。

ところが、その番組の終わりに、ゲームが大好きなオーストラリアの小学生がインタビューに答えているのを見たら、彼らの表情は日本の子どもの表情にとてもよく似ていたのである。「ゲーム?おもしろいから大好きさ。」と答える少年たちの顔は、私が知っている明るいオージーキッズのそれではなかった

子どもにはやっぱり子どもらしい顔をしていてほしい。

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キャラ天国

日本は世界で一番いわゆるキャラクターの数が多いのではないだろうか。

こどものおもちゃ箱を改めてみてほしい。

ミッキーマウス、アンパンマン、プーさん、ハローキティ、最近はムシキングやプリキュアなど・・・・・・

私は極力キャラクターのついている物は買わないようにしているが、

それでも頂き物などでどんどん増えてくる。

たしかにかわいいのだが、キャラクター物の困るところは、こどもが物を大切にしなくなることだ。

特にテレビアニメのキャラクターは、それが流行しているときは子どもはどうしてもそれが欲しくなる。もっていないとかっこわるいと言われれば親としても買ってあげてしまう。

ところがすぐに新しいキャラクターがでてきて、今度そんなに古い物をもっているとかっこわるいと、いっこうに使わなくなってしまうのだ。

娘には今、小学校6年生のいとこがいるが、文字通りかっこわるくて使わなくなったキャラクター付きの製品を次々娘にくれる。

彼女にしてもさすがに大切にせずに捨てることには罪悪感があるため、娘にあげたほうが気分的にはいいのだろうが、私は実はいい迷惑だと思っている。

キャラクター物と言えば子どものものだとおもいがちだが、子どもの頃に染みついてしまったキャラ好きの傾向は大人になってもつづき、今や大の大人までもがキャラクター物を喜んで使っている。日本人は大人が低年齢化している。

製品を売る方の立場からすれば、次から次ぎへと新しいキャラを生み出すことで永遠にキャラ好きの人たちの購買意欲を刺激し続けることができるのだからこんなにいいことはないだろう。

どんなに私が買いたくないとおもってもやはりキャラクターは子どもの心をとらえてしまい、一緒に買い物に行けば娘も必ずそういうものをほしがる。

こどもがほしがるままに買う前に、ここで一度キャラクターとのつきあい方を考え直してみてはどうだろうか。

こどもはキャラクターが好きなのは当然だから、全然買ってあげないのはかわいそう。ならばその中でルールを決めるようにする。

私の場合は、おもちゃやグッズなど長く使って欲しい物の場合は、ミッキーマウスなど、永遠に人気者だろうと思われるキャラクターなら買ってあげる。

テレビで流行している物など、すぐに消えてしまいそうな物は、お菓子など食品についているものなら買ってあげるようにしている。

そうすれば、もう持っているとかっこわるい、という理由ですてられるものたちがすこしは減っていくのではないかと思うがどうだろうか。

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