花粉症って治るの?

私の花粉症歴は20年。

子どもの頃は一番好きな季節だった春も、今となっては早く過ぎてほしい季節に他ならない。

眼鏡、マスクはもちろん、通院したこともあるし、漢方薬、点鼻薬、目薬、乳酸菌、甜茶、シソ、良さそうなものは本当にいろいろやってみた。それを一本打てば1シーズン大丈夫、という注射を打ってみたこともある。

そんな年季の入った私の花粉症であるが、ここ数年、完全にではないが、劇的に症状が軽減しているのだ。

確かに、以前は花粉症についての知識がまるでなく、非常に無防備であった、ということもある。今は、2月半ば頃から洗濯物も布団も部屋干し、寝室には空気清浄器を設置している。

けれども、自分自身、どこが転機だったかと考えたら、妊娠、出産だったと思うのだ。そして私はずっと、「子どもを産むと体質変わるって聞いたことあるけど、きっとそのせいなんだな」と思っていた。

ところが昨日、なにげなく Yahoo を見ていたら、「Yahoo 知恵袋」というところに、「花粉症は治るの?」というトピックが出ていた。そしてそれに対してみんなが回答を投稿するのだが、ベストアンサーに選ばれていた回答は非常に興味深かった。

ひどい花粉症に悩まされていた人が、食生活を見直し、改善したところ、ほとんど症状がなくなった、というのである。基本は「マゴハヤサシイ」だそうだ。

私はそれか!と納得してしまった。妊娠、出産が直接的な転機ではなかった。花粉症のことは何も考えていなかったが、私も子どもができたのを機に、食生活にすごく気を遣うようになっていたのだ。

今まで平気で食べていた食品添加物だらけの食べ物をほとんど食べなくなり、買い物をするときは必ず原材料をチェックするようになった。

そして、「らでぃっしゅぼーや」という安全な食材の宅配を始めた。「らでぃっしゅぼーや」は毎週一箱おまかせで種々の野菜や果物が届くシステムになっているのだが、その野菜は一生懸命に食べないと食べきれない位の量で、破棄するのがもったいないから結果的に外食をあまりしなくなった。以前は朝はパンとコーヒーだけ、なんていう日もあったが、今はとにかく食べきりたいのでがんばって何かしら作っている。おまかせ野菜の中には初めて買うような珍しい野菜も時々あり、「どうやって使うのかな?」と調べたりすることでレパートリーも自然に増えてきた。

宅配はけっこう割高なので、始めた頃は月々の食費が非常に心配だった。しかし、結果的には宅配でほとんどまかなえるため、あまりスーパーに行かなくなって、食費が減っていたのである。なぜなら、スーパーというところは非常に魅力的で、行けばついつい余計なものを買っているからだ。

ちょっと話がそれてしまったが、子どもがきっかけで食の安全につとめるようにしてきたわけだが、結果的には自分自身が花粉症の軽減という大きなプレゼントをもらっていたことになる。

餃子の事件などあり、世間的にも食についての意識が高まっているところであると思うが、食事は本当に命を作る基本中の基本であり、自分の体の中に入れるものには自分で責任をとらないといけないんだな、と改めて考えされられた。

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払えよ!給食費!!!

また新聞にのっている!

給食費を払わないバカ親のこと!!!

もちろん生活が苦しくて困っている人のことではない。バカ親たちは、高級車に乗り、普通以上の生活をしているのに払いたくないから払わない、といっているというのだからあきれる。

その子どもは食べさせなければいいかというとそんなことはない。悪いのは親で子どもに罪はない。そんなことが原因でいじめが起こる可能性だってある。

そんな学校側の考えを逆手にとって、本当にずるい。人間として、親として、そんな姿を子どもに見せていいのか。

今は払っている子ども達が犠牲になって給食の質を落とすことで全員に供給しているというが、そんなことで払わないもん勝ちになってしまったら、私も私も、という人が増えかねない。そうしたら、本当に、本当にありがたい給食制度そのものの破綻につながってしまうかもしれないではないか。

忙しいお母さん、そうでないお母さんも、毎朝お弁当を作ることになってしまったらそれはもう大変なことだ。私には無理だ。

給食はプロの栄養士さんが考えた、食べて安心、栄養ばっちりの理想的な食事なのだ。

恥ずかしながら料理があまり得意でない私は、自分が作っている料理が子どもにとってバランスいいおいしい食事であるという自信があまりない。

食べている自分が時々貧血になったりするくらいなので、きっとバランスとして偏っているに違いない。

しかし、そこに1食給食が加わるだけでそれほど健康維持の点でたすかっていることか。

仕事柄私の昼食も毎日給食だがいつもその内容に感心する。

サラダにしても、汁物にしても、使っている食材の数を数えただけでとても家庭ではできないといつも思っている。もちろん味も健康を考えた薄味、しかもおいしい。

早い話が私は給食の大ファンなのである。そんな給食をいつも食べさせていただけることをすごくありがたいと思っている。

その給食をバカにする行為はばちあたりなのだ!!!

給食費を払わない皆さん、自分のことばかり考えて、ほかの人が困っていても関係ない、と思っているかもしれないけど、そんなことばかりしているといつか結局自分に降りかかって来るんじゃないですか?

それより何より、我が子に軽蔑されるようになってしまったら、お金よりも大切な物を失ってしまいますよ。

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飽食の不幸

土曜日に、カリスマパティシエと言われている辻口博敬氏をテレビで見た。ご自身の生い立ちなどを語っていらしたのだが、その中で、今の仕事をしようと思ったきっかけに話が及んだとき、それについてこう話されていた。

それは、子供の頃に食べた、苺のショートケーキに感動したからだ、と。

辻口氏が幼い頃は、ケーキと言えば年に何度かしか食べられない貴重な物、しかもバタークリームを使った物が普通で、そのショートケーキの生クリームに衝撃を受けたそうだ。

辻口氏だったか、司会の方だったか、忘れてしまったけど、会場に来ていた子供達に向かって、「そういわれても実感できないよね」みたいなことをいっていたが、確かに、現代の子供達にその気持ちを理解しろといっても無理だろう。

私にはわかる。

年齢的に近いせいか、ショートケーキではないが、チーズケーキに出会ったときの感動は今でも忘れない。

子供の頃からチーズが苦手で、給食に出た日は最悪だと思っていた私にとって、これがあのチーズであるとはにわかには信じがたかった。

そして、決まって端からこれ以上薄くは切れないと言うくらい薄くしながらちびちびと味わって食べ、最後の一口がなくなってしまうと本当に残念な気持ちになったものだ。

そうなのだ。少し前には、食べ物が一人の人間の人生を変えてしまう時代があったのだ。

私も、思い起こせば、チーズケーキだけではなく、今までの人生には何回か「世の中にこんなにうまい物があったのか!」と思う瞬間があった。

しかし、人間の舌というのは贅沢で、おいしいものばかり食べているとそれに慣れてしまう。今では、チーズケーキを食べても、それほどの感動をもって食べることはできない。

あの頃は、今ほどおいしい物が廻りにあふれている時代ではなかったが、食べ物にこれだけ感動することができたのだから、幸せだったのかもしれないと思う。

いまやスーパーに行けばありとあらゆる食材がかんたんに手にいれることができるわけだが、子供の頃からおいしい物を食べ過ぎている今の子供達は食に感動することはあるのだろうか。

なんでも食べられるというのは一見恵まれているようだがそうでもないんじゃないかと思ったのである。

ちょっと話が脱線するが、味にうるさい人もしかりで、グルメ番組なんかにでて味の評論をしたりする人は微妙な味わいも感じ取れてちょっとすごいように思えるが、実際はなんでもかんでも「うまいうまい」といって食べる人の方が幸せなんじゃないかと思ったりもする。

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お寿司なしで生きられる?

日本人はお寿司が大好き。たくさん並んでいると、どれにするか迷ってしまう。

一番好きなのは?大トロ?やっぱりトロは人気者だ。

でも、その大トロは食べてはいけない。マグロには水銀メチルが多くふくまれていのだ。

何年か前に、魚に含まれる水銀についての記事が新聞やテレビを賑わわせた。

そのとき話題になったのは金目鯛やメカジキだったが、政府は日本人がもっとも好むマグロについてはほとんど取り上げなかった。

実はマグロの水銀含有量は金目鯛などよりも多いのだ。

政府は国民が大好きなマグロについては真実を語らず、水銀含有量をHP上で参照できるようにしたことで国民に知らせる義務は果たした、と言っているのだ。ずるい。

水銀といえば、あの水俣病を引き起こしたことで有名。

水銀が海や川に流れ出し、それを小さい魚が食べる、それを中くらいの魚が食べる、それをまた大きい魚が食べる。

食べられる度に水銀はより大きい魚の体内に蓄積されていく。だから体の大きい魚ほど危険というわけだ。

体の大きい魚を好む日本人は、水銀の体内濃度がすでに世界一なのである。

それだけではない。

恐ろしいことに、母の体内にある水銀は、出産によって子供の体内へと移動する。

日本人の子供は産まれながらにして体内に水銀をもっているのだ。

政府はお茶を濁して「食べないようにしましょう」くらいのいい方をしたが、ヨーロッパではきっぱり「食べてはいけない魚」のリストにはいっていて、政府も国民に注意を呼びかけている。

政府が一番大好きなのは生産者の利益で、国民の命はなんとも思っていないのか。

いつもながら対応のまずさに腹が立つ。

幸い、私は妊娠前からずっとオーストラリアにいたため、寿司や刺身はほとんど口にしなかった。

でも日本にいたら、私も確実に食べていたはず。

今私は大型の魚に注意をし、寿司、刺身、シーチキンもあまり食べないようにしている。

でも、魚が大好きな父は、「そんなことを言っては何も食べられない。第一、好きな物を食べられないくらいなら早死にしてもいい」くらいのことをいっている。

このように事態を軽視しているひとはかなり多いのではないかと思うが、それは国がその辺の真実をきっぱり言ってくれないせいだと思う。

できれば隠していたいんだけど、いよいよ言わなくてはいけなくなってしまったから、国民を動揺させないように、いや、国民の非難を浴びないように、オブラートに包んで言っている。

そんなことばかりしているからなにを言われてもそのまま信じる気にはとてもなれない。

安心して暮らせる世の中にはなかなかならないものである。

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豆乳の安全性

前出の記事にもあるとおり、我が家には今牛乳はなく、もっぱら豆乳を愛飲している。

個人的にはコーヒーに入れるときも、牛乳より豆乳のほうがおいしく、料理にも牛乳同様に使えるので便利だ。娘も豆乳が大好きで、二人で1日1リットルは飲んでしまっていた。

ところがそんな私たちの様子を心配して、ある日実家の母が朝日新聞の記事を送ってきた。(我が家は新聞をとっていないため)

それによると、今 豆乳の成分について、食品安全委員会の評価が揺れている、というのだ。

大豆イソフラボンが女性ホルモンのエストロゲンによくにていることから、過剰に摂りすぎると内分泌が攪乱し、動物実験では胎児への影響がでたというのだ。

具体的に言えば、「豆乳はイソフラボンの含有量が多いので、このままでは1本でも危ない」そうである。

例によって業界は大反発、結論は未だ出ず、ということらしいが、特に娘は日々がぶのみしているので、急に心配になってしまった。

偶然にも その記事を受け取った日、テレビの「試してガッテン」では豆乳をとりあげ、「豆乳をもっと投入!」と豆乳のスバラシサを訴えていた。

なにを信じていいかわからない。結局自己責任、ということか。

幸い冬になって娘も豆乳、豆乳と言わなくなった。

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牛乳神話?

牛乳は体によい!と信じている人は多い。

もちろん私もその一人だった。

しかし、今でこそ牛乳をのんでいるが、乳幼児期にはミルクアレルギーで牛乳を受け付けず、今も飲んだ時より飲まないときの方が調子がいい。

それでも牛乳は体にいいと思えばこそ、毎日飲むようにしていたのだが、この本を読んで衝撃を受けた。

「牛乳は、体にいいどころか、危険だ。」という主旨の本だったからである。

作者曰く、そもそも「乳」というものは動物が自分の種の新生児をそだてるためにあるもので、自分たち以外の種の乳を口にするのはあたりまえだが人間だけであるという。体に合わなくて当然なのだ。

ではなぜ私たちがこれほど牛乳は健康だと信じているかというと、それは戦後、牛乳の販路を世界に拡大しようとしたアメリカの戦略のせいで、私たちはすっかり洗脳されている、ということだった。

言われてみれば、健康にあれほどよい、とされているわりに、飲むとおなかがゴロゴロする、と言う人は意外に多いのではないだろうか。

この本を読んだとき、妊娠中であったため、栄養にはかなり気をつかっていた。カルシウムの不足が心配であったが、思い切ってやめたところ、ホントに調子よくなったのである。

今のところ、牛乳は相変わらず健康飲料の王様である。でも、出産後の乳幼児検診で、保健婦に、「牛乳は飲ませていますか?」と聞かれた際、思い切って、「牛乳は体にわるいんでしょ?」と聞いてみたところ、保健婦は、小さい声で、「そうきかれれば、そういう説もある、としか今はお答えできないんですよ。」と言われて確信した。

それもそのはずである。それが覆れば、信じて飲み続けていた人、学校給食の現場、酪農家のかたがたなど、ものすごい数の人に影響がでる。

でももし本当に悪い物であるとしたら、依然としてそれが世間の話題にもならないことに不安を覚える。どこの国でもある程度の情報操作はあると思うが、そうしたばあいに親はどうやって子どもを守ったらいいのだろうか。学校へあがったら給食が控えている。

今、我が家の冷蔵庫に牛乳はない。

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「栄養バランス」の前に・・・

小学校で働いていたとき、いつもあきれていたことがあった。

それは、給食の残飯の多さである。

残っているのは決まって野菜。

「ごちそうさま」をするとみんな一斉に残した物を食管に戻しに来る。

私が子どもの頃は「全部食べ終わるまで遊んじゃいけない」などどいわれたものだが、

今はそんな厳しいことは言わないらしい。

「そんなに残しておなか空くでしょう?」といっても、

「家へ帰っておやつを食べるから平気だよ。」という。

そんな中で、とても印象的なことがあった。

ある女の子が、

「だめだよ。残しちゃ。食べ物は命なんだから。」と言ったのである。

この言葉を聞いたとき、そんな風に考えてこなかった自分が恥ずかしいと思った。

まさに、子どもに教えられたのだ。

日本は長らく飽食の時代になっている。昔なら、なぜ食べ物を残したらいけないのか、

と聞かれたら、「もったいないから」と言うことができた。

ところが、今はこんなにあるのにどうして捨てたらいけないのか、正直子どもにも

わかる形で答えにくい。

「世界には食べられない子だっているんだから。」

これも、目の前にある食べ物をまさかその子たちに届けられる訳ではないから

いまいち説得力がない。

「命を食べる」という考え方は当たり前なんだけど意識していない人が

多いのではないだろうか。

「バランスのとれた食事」なんてことを考える前に、もっと基本的に、

「食べることとは何か」を考えなくてはならない。

自分の命は恐ろしいくらい数多くの命の上に成り立っている。

退職してしまった今となっては、小学生に伝えることはできないが、

自分の子どもには食べることの大切さ、命の大切さ、を伝えられる親でありたいと思う。

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