オーストラリア

子どもを連れてオーストラリアに行ってきた。円安でオーストラリア旅行の人気が下がってきてきているところだったので、オフシーズンとはいえ結構お金がかかってしまったが、初めての飛行機や外国に大興奮する姿を見て、連れてきてよかったな、と思った。

私の友人は、子どもの頃、特にお金持ちであった訳ではなかったが時々海外旅行へと連れて行ってもらっていたという。ご両親は子育てに対し本当にしっかりした考えをお持ちで、海外に連れて行っていろいろな文化に触れるという体験をすることが大事で、そのために日頃は貧乏してても全然かまわない、とおっしゃっていたそうだ。友人のその話がずっと心に残っていて、私も娘にはそうしてあげたいと思っている。

娘はもうすぐ4歳だが、あちこち長い距離を歩くのはまだ体力的に無理があり、外出時はベビーカーを利用していた。ベビーカーを押しながらの旅行は大変かと思ったが、全然そんなことはなかった。

なぜならば、駅の階段を上るときも、バスや電車に乗るときも、必ず誰かが声をかけてくれ、一緒にベビーカーを持ち上げてくれたからだ。

時には、私が階段を下りようとしたときに、階段下から「そこで待ってて。」と声をかけられ、わざわざ自分とは反対方向なのにベビーカーを運んでくれた人もいた。

日本にももちろん手を貸してくれる人はいる。でもそれは一部の本当に親切な人だけだ。オーストラリアでは、ほとんど毎回、と言っていいほど、しかもちょっと今時のお兄ちゃん風の人まで気さくに声をかけてくれたのに本当に驚いた。それでいて、たいしたことじゃないよ、といわんばかりに自然に手を貸して颯爽と去っていく。そんなのを体験してしまうと、ああ、つくづく、日本人って冷たいなああ。と思ってしまう。

いくら道徳の授業で「困っている人には親切にしましょう」なんて習っても、全然身についていないってことになる。または、知らない人に親切にしたら「余計なお世話」なんていわれるんじゃないかと思ってせっかくの親切をしないままでいる。全然意味ないのだ。

人に親切にされれば、よほどひねくれた人でない限り誰でもうれしいものだ。もっともっとさりげない親切が当たり前になるような暖かい社会になってほしいと思う。

オーストラリアの人はとっても子どもが好きらしく、どこへ行っても話しかけられ、どこへ行っても人の親切を感じることができた。子どもを連れて行ったことで思わぬ楽しい思い出をたくさん作ることができた。娘に感謝である。

ちなみに、私自身、人生で一番はじめの記憶は4歳の時からだ。母が洗濯をして、私は甘食を食べながら当時の子ども番組「ロンパールーム」を見ていた映像を思い出すことができる。なぜ4歳かわかるかというと、近所のおばさんがきて、「あら、かわいい、いくつになったの?」「4歳。」と言ったことを覚えているからだ。それで、この旅行も、娘はずっとおぼえててくれるかな、という期待を込めて今年行くことにした。節約してがんばって行った海外だから、ずっとおぼえててほしいな。

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親切の連携プレー

20代の頃、友人とニュージーランドを旅行した。

バックパッカーやキャンプ場にとまりながら、ニュージーランドを車で縦断した。

ニュージーランドは南島と北島に分かれている。南島のクライストチャーチで飛行機を降りてレンタカーを借り、車で北上してフェリーで南島へ渡り、オークランドから日本へ帰る予定だ。

予定、といっても予定は未定の旅だったので、その日にとまるところを決めながらの旅だった。

そんなある日のこと、いくら気ままといっても帰りの飛行機のこともあるし、考えていた予定よりも縦断には時間がかかりそうなことがわかり私たちは結構車を飛ばしていた。

ニュージーランドでは、普通の車でも100キロくらいで走っている。だから急いでいた私たちはもっとスピードを出していたと思う。

日本ではやりなれた追い越しも、対向車も100キロで走っているとなるとちょっとスリルがある。対向車がいないとおもって追い抜き体制に入っても、あっというまに対向車が目の前にくるからだ。

そしてその日は朝から雨が降ったり晴れたりふったり晴れたりを繰り返す変な天気だった。

私はいつものように緩やかなカーブでハンドルを切ったのだけれど、

おそらく道路が濡れていたのだろう、そこでちょっとスリップして路肩に落ち気味になってしまった。

修正しようとハンドルを強く握ったら、修正どころか、車がスピンしてしまったのだ。

ニュージーランドの道路は日本の道路のように表面がなめらかでなく、ちょっとしたハンドルミスで大きく方向が変わってしまう。

しかも普通に誰でも時速100キロくらいで走っている。

私たちの車は、進行方向が逆になりながら対向車線に飛び出してしまった。

この時点でもし対向車がきたら死んでしまうところだった。

私はあわててハンドルを切り、進行方向を戻した。その道路は、車が走るところだけは地面が盛り上がって高くなっていた。道路の両脇は溝になっていた。最終的には自らその溝にに落ちることでなんとかコースを外れることができた。間一髪だった。

スピンしてから溝に落ちるまで、ほんの一瞬の出来事だったに違いない。でもすごく長く感じられた。心臓がドキドキしていた。

車は壊れ、廃車となった。あれだけのことをしたのに友人も私もどこも怪我をしなかった。

溝から上を見上げると、たくさんの人が立っていた。

私と友人は車から出て、大丈夫だということをアピールし、溝を登って人々の元へ行った。

女の人が私の方を抱いて、「大丈夫よ。落ち着いて。まず、座りなさい。」と、

草の上に座らせてくれた。

日本でなにか事故を起こしても、たいていは誰かに厳しく事情をきかれたりして一段落するまではずっと気持ちを張りつめていないといけないので、「まず、座りなさい。」という言葉に驚いた。そして、それが何より温かく感じられた。

回りを見ると、私たちを心配して車を止めてくれた人が大勢いた。

その中の一人が、携帯電話を使ってありこちに連絡してくれ、まもなくそこには救急車、消防車、パトカー、レッカー車がやってきた。

私たちはパトカーの中で事情を聞かれた。別に怖くなかった。

「どうしてスリップしたの?牛が飛び出してきたの?羊を見ていたの?」とかそんな感じだった。

救急車で軽く身体チェックを受け、廃車となった車はレッカー車で車の修理工場まで運ばれた。私たちを乗せたパトカーもそこまで私たちを連れて行ってくれた。

修理工のおじさんは、私たちを自宅に入れてくれてお菓子をくれた。

私たちは「これはレンタカーだ」、というと、じゃ、「代わりの車を借りないといけないね。どこで借りたの?」といった。

私たちが、レンタカーの事業所の名を告げると、「じゃ、そこまで行く車がないかどうか探してあげる」と行って、無線機で交信を始めた。まもなく、巨大なトラックがやってきた。

「これにのっていきな。」とおじさんは言ったが、トラックの運転手は見た目が怖かった。

私たちは緊張して助手席に乗り、特に会話もなく座っているだけだったが、緊張が過ぎて疲れてしまい、いつしかぐーぐー寝てしまった。

どれくらい立ったか、トラックの運転手に起こされた。

そこには、普通のセダンの車にのった若い男の子がいた。

トラックの運転手は言った。

「俺はあいにくそのレンタカーの事業所までは君たちを連れていけないんだよ。それで、俺の甥を呼んだんだ。彼に連れて行ってもらうといいよ。」

私たちは本当にびっくりした。

こんな、見ず知らずの日本人の為に、そこまでしてくれるなんて感激した。

私たちは事故を起こしてから約半日後、自分たちでは何もしないで新しい車に乗っていた。

以来私はニュージーランドが大好きになってしまった。

そんな親切って、頭ではわかっていてもなかなかできるものではない。それをニュージーランドの人たちはみんなが当たり前のようにしてくれた。

もし自分がそういう事故に遭遇したら、そんな風に助けてやることができるだろうか。

事故は大変なことだったが、そのお陰で、たくさんの人と関わり、人々の優しさを知ることができた。忘れられない旅行になった。

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おかねの使い方

何年か前に、バリ島へ旅行した。

初めて行く所だったし、交通の便もあまり良さそうじゃ無かったので旅行会社を通した。

旅行は1週間くらい、行きたいところがある日は現地係員が車で迎えに来てくれ、

あちこち連れて行ってくれた。

そんなこんなで色々なことを話しているうちに私たちはすっかり仲良くなり、彼の家に招待され家族の方たちにあわせてもらったり、一緒にカラオケにいこう、と誘われたりした。

パッケージツアーなどをしてしまうと、現地の人の生活などなかなか見せてもらうことはできないから、私たちは喜んで招待に応じた。

そのカラオケがすごかった。

アジアでもカラオケは大人気だが、こちらのカラオケはボックスではない。店の壁に大きなスクリーンが貼ってあり、リクエスト曲はそこに映る。私たちはお酒を飲みながら、ソファに座って歌うのだが、そのソファは全部スクリーンの方を向いている。

そして誰かが1曲リクエストを入れると、次はなんだ、とみんな興味を示し、いつのまにか大合唱になっているのだ。

彼は、これは仕事じゃないから、自分がおごる、とカラオケ代を払ってくれた。

そんな中でいろんな話、仕事の話、お金の話もしたのだけれど、彼の年収はなんと日本円にして10万円くらいだった。

それでも旅行会社で働ける、というのはいい方で、まだまだ苦しい生活をしている人は山ほどいる。

観光地としてにぎわいを見せているが、お金を気前よく落として遊んでいるのは外国人ばかりで、それでみんなが潤っているわけではない。現地ツアーを行っている旅行会社もよく見ればアメリカや日本の会社が多い。

私たちはオプションでマリンスポーツを楽しんだのだが、その会社もアメリカの会社だった。そして、たったその1日で1万円くらいのお金がかかったのだが、年収10万と聞いた後には、その1万円の価値はこれまでと全然違った物にみえてしまった。旅行会社にかわって彼が集金してくれたので、彼に渡すのが恥ずかしいような悪いような気になってしまった。

バリでは、道を歩いていても、すぐに子供がやってきて「お金ちょうだい」「なんかちょうだい」と言う。心は痛いけれどもきりがないのであげるわけにいかない。驚いたことに、子供達は私の所へきて、日本語で、「何かください、お金をください」といい、私が無理だと思うと今度は金髪の人たちの所へいって、英語で「何かくれ」と言っていた。あんなに小さいのにもう物乞いのプロだ。

交差点で車が止まるとすぐに人に囲まれて、「これを買ってくれ」「あれを買ってくれ」と言われる。

お店では必ず外国人と見ると高い値段でふっかけられる。このお金の交渉がものを買うときいちいち面倒だが、相手も今日の稼ぎがかかっているから必死である。

時々、帰りの飛行機で、これくらい値切ってやった、なんて言うことを得意げに話す日本人を見かけるが、本当に腹が立つ。私も値引き交渉はするにはするが、日本人に取ってはゲームかもしれないが、相手に取っては今日、食えるか、食えないか、の真剣勝負なのだ。とても得意になって話す気にはなれない。

この旅行を通して、自分のお金の使いかたを省みずにはいられなかった。

たとえばカラオケ。

飲み会の2次回はカラオケが定番だが、歌いたくて行っている訳ではない。

誰かの歌を聴いているわけでもない。自分の番以外はおしゃべりしたり、歌本のページをめくっているばかりだ。当然、誰も聞いていないから歌っている人にも失礼。

全員一丸となってカラオケを楽しんだバリの夜が懐かしい。

そして、その他のレジャー。1日のレジャーにかんたんに1万円、つまり彼らの月収以上のお金を使ってしまうことも珍しくない。しかし本当に心から楽しんでいると言えるのか。

みんなが行くから、誘われたから、そこへ行くのが流行しているから・・・・。

つき合いも社会で生きていく上で大切なことだけど、もうすこし有意義なお金の使い方をしたいと考えるようになった。

つまり、できるところは節約して、余ったお金で寄付などをする、と言うことを決めたのだ。

アジアの旅行はいろんなことを教えてくれる。

旅行会社の彼は、それでも自分は日本語が使えるからいい仕事ができるんだ、と言った。

しかし彼の日本語はまだどこかおかしな所がある。それだけ日本語が使える彼は、一度も日本人に日本語を教えてもらったことが無く、日本へ来たこともない、と言うことだった。

日本語を教えることで、生活水準が上がる人がいる、と思ったことが、日本語教師になろうと思ったきっかけだったのかもしれない。

彼らにとってみればすごい単位のお金をバンバン使って旅行する事を恥ずかしいと思う反面、こうして使ってあげることで観光地としてのバリが成り立っているんだと思うととても複雑な気持ちになる。

日本は物があふれている。子供は際限なく物をほしがり、親もかんたんに与える。

私は子供がもうすこし大きくなったら、是非子供を連れてアジアに旅行に行きたい。

物よりずっとすばらしい、自然の美しさや人々の優しさを体験して欲しいと思うからだ。

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ネットカフェで殺し合い

オーストラリアに留学していたとき、よくインターネットカフェに行った。

私の場合はもっぱら友だちからのメールをチェックしたり、新しいアパートを探したりしていたのだが、そうではなくてゲームをしにきていた人もたくさんいた。

よく行ったところは、チャイナタウンほどではないが、東洋人の多い地域で、

ネットカフェにたむろしていた子どももほとんどは中国人や韓国人の子どもではないかと思われた。

初めはほかの人が何をしているかなどはほとんど気にもしていなかったのだが、

ある時、ほとんどの子どもがみな同じゲームをしているのに気がついた。

それは、画面を見る限りでは、無機質な感じのブロック塀に囲まれた迷路で、そこに人物は見えない。

コントローラーを操作すると、画面が動いて、自分がこの迷路の中にはいりこんでいるような気持ちになるのだ。

突然、前に銃をもった敵が現れる。

自分もすかさず構えて発砲、相手が倒れるか、自分が倒れるかだ。

私はカウンターにいる韓国人にこれはなんだ、ときいた。

聞けば、このゲームはそのネットカフェ内にあるパソコンを全部接続しておこなっているわけで、殺し合っているのはほかでもない、ここにいる客同士だということだった。

なんかぞっとした。

そういいうものは、もちろん肯定しているわけではないが、相手のどういう人だかしらないから平気で殺せる(もちろんゲームで)、というものではないかと思っていた。ここにいる人だとわかっていて銃の引き金を引けるという神経は想像しがたかった。

いままで居心地がいいとおもっていたネットカフェの空間が一瞬で居心地悪い物になってしまったのはいうまでもなく、メールチェックはなるべく学校や図書館をつかおうと思った。

日本では自宅にパソコンがあるため、ネットカフェなど行ったことはないが、どうなっているんだろうか。同じような感じだったら、それはとても恐ろしいことだと思う。

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