我が家のプリキュア論争

もうすぐクリスマス。

子ども達へのプレゼントと何にしようかあれこれ悩むのは、毎年面倒くさいけれども、子どもの喜ぶ顔を想像しながらのおもちゃ屋さん巡りは楽しいことでもある。

そんな中、娘に何をプレゼントするかということで我が家でちょっとした論争があった。

それは、私の母(娘にとっては祖母)が娘になにがほしいか尋ねたときのこと。娘は「プリキュアの自転車がほしい。」といったのだった。

実は、プリキュアは私が今一番娘に見せたくないアニメの一つ。

理由は過去の記事でも書いたが、第一に女の子が見るアニメとしてしょっちゅう敵と戦うようなストーリーはふさわしくないと思うこと、第二に、明らかに子どもの購買意欲をかき立てるようなグッズが続々と出てきて、一般の子どもも親もそれに乗せられてしまうような仕掛けが見え見えであることなどである。アニメをみると一見美しい友情などを謳ったりもしているが、結局は自分と立場の違うものは攻撃しようという考え方で、そんなものを幼い頃から肯定するようになってしまったら恐ろしいと思う。

幼い頃に見たアニメは、その子どもの人格の形成に影響を及ぼすので、私は娘に放映時間を知らせていないし、日曜日のその時間は何が別のことをして遊んだりビデオを見せたりして娘がテレビをつけないように必死でごまかしている。

それでも保育園ではどの子もプリキュアが大好きで、娘もその影響を受けているようだ。

すぐさま買ってあげる、という母。ストップをかける私。

私の主張は、母もよく分かってくれるが、みんなが持っているのにうちの娘だけ持っていないのはかわいそう、だという。私の娘だけががまんしてもアニメ界を変えられる訳じゃなし、だったら好きにさせてやればいいじゃないかと。

そうかもしれない。でも、そんな小さな一歩がだんだん大きくなって世の中が変わるんだと私は信じたい。

昔は有機栽培の野菜、無添加の化粧品など、一部のこだわりのある人のみが使っていたものも、だんだんその良さが認められて今では割とどこでも手にはいるようになってきた。

そんな風に、売るがためにテレビアニメを利用し、目新しいものをどんどん製造する会社のものを消費者が選ばないこと。

白黒つけやすくて単純な戦いのシーンより、本当に心を育むようなストーリーのアニメを視聴者が選ぶこと。

小さな働きかけでも、小さな力だからとあきらめてしまっては、何も変わらないと思う。

幼心に、娘は私と母のただならぬ言い合いになんとかしなくては、と思ったらしく、「プリキュアじゃなくてプリンセス(ディズニーの)にする。」と言ってきた。それでとりあえず一件落着。私も胸をなで下ろした。

もう一つ、プリキュアをはじめとする美少女アニメは、一通りのグッズを買わせたらアニメに新しいグッズが登場するか、最終回になって新シリーズが始まることになっている。今年買った自転車は、来年には「新しいのがほしい~。」ってことになるはずだ。ものを大事にする心を育てるのは難しい。

ディズニープリンセスなら、昔も今もずっと愛されてるので、長く乗ってくれると思う。

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少女漫画の質

小学校高学年くらいから中学校に書けてよく読んだ漫画雑誌は「なかよし」「りぼん」「マーガレット」などなど・・・連載されていた漫画も「キャンディ・キャンディ」「はいからさんが通る」「生徒諸君!」など、今なお残る超名作が多かった。

今も思い出して読むことがあるのだが、内容的にテーマが重かったり、歴史について触れていたりと小学生の読みものにしては難しいのではないかと思う。それでもあの頃は、一生懸命理解しながら、それなりにわくわくしながら読んでいた。

ときに大人の世界に憧れ、見知らぬ外国の文化や大正ロマンに思いをはせ、それらの漫画に壮大なドラマを感じていた。

漫画を通して広い世界を見ていた、と言ってもいいすぎではない。

しかし時は流れ、あのころの漫画ファン達が「なかよし」を卒業するとともに、それらの超名作を書いた漫画家の先生達も活躍の場を大人の読むコミック誌へと移していった。

それ自体は嬉しいことで、今でも現役で漫画を書かれている方も多く、私たちも次の作品を楽しみにする気持ちを今でも味わうことができる。

けれどもそういう花形の漫画家さんたちが抜けてしまったかつての少女漫画はいまや寂しい限りで、どの漫画を見ても似たり寄ったりのストーリーに見えてしまう。

見たというのは、姪が好んで読む某少女漫画誌のことだが、漫画の舞台はほとんどが学園物で、クラスにかっこいい男の子がいて、とか、その子が実はアイドルで、とか、そんな話がおおく、新鮮みがない。

そして、驚くことに、いまや少女が読むような本にも平気で性描写が載せられ、ホントにこれ、中高生が読むの?といいたい内容の物も多い。

男性誌はどぎつい性描写のある雑誌はちょっとほかの雑誌と違うところにまとまって置いてあるのに、少女漫画のほうはそうでない物と区別なく同じような所に置かれている。

私は本屋へいくたびに、それらの本を手にとってどんなものかきちんと見てみたいと思っているのだが背表紙に「H体験」とか書かれていると何となく気恥ずかしくて手にとれない。それを娘達は恥ずかしげもなく買っていくのだろうか・・・。

私の少女時代は、(という描き方をするたびに自分がどれだけ年を取ってしまったか、っていうかんじで嫌なのだが)漫画を読んでいるだけで「ばか」扱いされたものだが、今や漫画を辞めろ、などというほうがナンセンスなほど日本人は漫画に慣れ親しんでいる。その中で、少女が漫画から得る影響は多大な物であることは想像に辛くない。

その漫画が、こんな状況で良いはずがない。

本当によい漫画は、文庫や愛蔵版の形で復刊し、いまでも容易に手に入れることができるが、それを買うのはどちらかと言えばそれをリアルタイムで読んだ年代の人が、懐かしんでかう、と言うことの方が多い気がする。

それより、そういう漫画を中高生にも読んで欲しいと思うのだがそれはできないのだろうか。

テレビに再放送があるように、「再連載」なんかがあって、現役の人と漫画の質を競いあうとか、いっそ雑誌をまるまる復刻して売る、なんていうことはどうだろう。

また、今や時代の流れ的に、若い世代の人が男性とつきあって何もしない、なんてことはないのかもしれないけれど、それが当たり前、堂々とやるし、それについて描写した漫画ももちろん堂々と読む、ってことにはまだなって欲しくない。

アダルトビデオのコーナーみたいに、本屋にもカーテンをくぐらないといけないコーナーを設けて、そういう漫画はその中において欲しい、と思ってしまうのだが果たして実現可能か。

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アニメの倫理観

以前の記事「アニメが子どもをだめにする」で、アニメとそれに関わるグッズについてかかせていただいたが、もう一つアニメが危険だと私が考える理由がある。

それはアニメの倫理観だ。

アニメの世界では、たとえそれが幼児むけのものでも、正義の味方と悪者にきっぱり登場人物が分かれている。アンパンマンだってそうである。

そして、物語のクライマックスはほとんどが戦闘シーンで、正義の味方は勝つことになっている。

ん?何がいけないの?と思った人は、この倫理観にかなり洗脳されている。

アニメを見て、子どもは自分の姿を登場人物に投影する。それは当然。普通であると思うが、誰も自分を悪者側だとは思わないだろう。

自分は当然アンパンマンだ。バイキンマンじゃない。

ところが、そこが問題だ。

人間の社会はとても複雑なのに、いつも自分の方に正義があると考えてしまう。

立場が変われば、相手にもそれなりの正義があるということを見落としてしまう。

自分しか見えないで、相手にも事情があるということに考えが及ばなくなってしまうのだ。

さらに、戦闘シーンが繰り広げられ、最後は正義が勝ってあーすっきり。よかったね。

で終わるのであるが、

それでは、自分に正義があれば相手を痛めつけてもいい、と言うことになってしまう。

子どもの残酷な事件が相次いで起こり、ゲームなどが取り沙汰されているが、日常的に見ているアニメも、描かれ方はソフトであるがその原因を作っている。

相手を許せないから、傷つけてもいいという発想はこんな所からも生まれてきているのだ。

親御さんは、アニメだからといって安心して子どもをテレビの前に座らせておくのではなく、

その内容をチェックしながら時には一緒に見た方がいい。

そして、暴力シーンがないものを子どもに見せるべきだ。

暴力シーンという観点でみれば、「おじゃる丸」「忍玉乱太郎」「ちびまるこちゃん」「クレヨンしんちゃん」そして「サザエさん」などは安心して見せられると思うがどうだろうか。

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アニメが子どもをだめにする

日本で、一番のビッグビジネスはアニメと言われている。

ちょっと考えていただければおわかりだと思うが、あるコミックが流行すると、テレビアニメ化が決まり、それに伴っておもちゃ、食品、サントラ、映画、文房具・・・・・。商品化は延々と続く。

言い換えれば、アニメーションというのはこれらの商品の長編コマーシャルになっているのである。

以前、日本のアニメとおもちゃの関係を研究し、その成果を書き表した本を読んだ。残念なことにタイトルを忘れてしまったが、わかったらまた紹介したい。

それによると、いまやアニメのストーリーを決めるのは制作者というより、おもちゃ業界だというから驚きだ。

たとえばあるアニメで、主人公がピンチの時に使うスティックがあるとする。子どもはかっこよくてみんなほしがり、こぞって購入する。

ところが、頃を見計らって、ストーリーの中で主人公がそのスティックを手放す、というアクシデントが起きる。

そしてその代わりに新たな武器としてたとえばベルトとか、コンパクトとか、そんなものが登場するのだ。もちろん子どもたちは、まだぴかぴかのスティックをかっこわるいと見向きもしなくなり、新しいオモチャをかってくれ、と親にせがむ。

そして、ポケモンが元祖、というわけでもないと思うが、ストーリーの中にやたらと沢山のキャラクターが出てきて、力の優劣を競うアニメがやたら多い。キャラは違うが構造が同じなのだ。当然子どもはカードを集めだし、お気に入りのキャラクターのグッズをほしがる。

売り上げのいいアニメはパートⅡ、Ⅲ・・・・・と利益を吸い尽くせるうちはどんどん続編が作られ、反対に採算の合わない作品はすぐに打ちきりになる。

それらのアニメは、子どもを食い物にしている、といえないだろうか。

前に「キャラ天国」でもふれたが、これでは子どもに物の大切さは教えられない。

そこでいいたいのは、お母さんたちの世代にむけてだが、自分が子どものことに見たアニメとこれらのアニメとを比べてみてほしいのだ。

今でも昔のアニメの感動シーンを特集する番組は多いと思うが、私たちが大人になってもその感動を覚えているほど、子どもの心にアニメが与えている影響は強いのだ。

子どもにアニメを見るなといっても、無理な話である。

それならば子どもの心の栄養になるようなアニメを見て欲しい。

子どもを食い物にする業界を責めたくもあるが、消費者が選ぶから売れている、ということを考えるべきだと思う。

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