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ギンギラクリスマス

クリスマスも終わって、今年も残すところあと2日。

うちもやっとクリスマスツリーを片付けおえたところだ。

それでも我が家はツリーと、子どもと一緒につくったリースがいくつかなので片付けといってもたいしたことないが、家の周りじゅうをイルミネーションで飾ってしまっているお宅はさぞかし大変だろうと思う。

ここ近年、この季節になるとお庭じゅうをギンギラギンにしているお宅が増えた。我が家のご近所でも流行中のようだ。

ちょっぴりアクセントとして楽しむ程度であればほほえましいが、どうしてそこまでするんだろう、という家もかなりある。町の一角が、どの家もギラギラピカピカしていて、舞浜まで行かなくてもエレクトリカルパレードみたいになってしまっているところもある。

10年前くらいに、初めてギンギラのお宅を発見(まさに発見!)したときには本当に驚いて、わざわざ車に乗って友達にも見せたりしていた。でも、今はけっこう普通の光景だ。当時は珍しくて、きれいだな~、と見る方もはしゃいでいたが、でもそれって本当に美しいんだろうか、って最近は思う。

よそのお宅の懐具合をとやかく言って申し訳ないが、かなりの電気代がかかっている、とテレビで言っていた。屋外の電気のために、家の中では極力電気を使わずに薄暗い中で生活している人もいると聞いている。

近所でエレクトリカルパレード状態にしてしまっているところは、はじめは少しだったのにだんだんエスカレートして、近所どうしで無言で張り合っていたり、または反対に自分のところだけやめづらい状況になってしまっているところもあるらしい。

まあ、そこまでは個人の自由なのでほうっておいてくれ、といわれてしまえばそれまでだが、今回どうしても書きたかったのは、その電飾を見るたびに、やっぱり地球の温暖化って、頭では分かっているけど、個人として何かしなくちゃいけない、というレベルではないのかな、というところにすごい危機感を感じるからだ。

もう、お金があるからどれだけ電気を使ってもいい、という時代ではないのだ。東京タワーだって節電してライトアップを制限している。エコの問題に直面したとき、物質的な豊かさを象徴する電飾のきらびやかさは美しいと素直に感じられないものになってしまった。

何年か前、チェコ人の友人が、クリスマスは国に帰りたい、国のクリスマスはそれは美しい、と話していた。どんなクリスマスか聞いたら、各家庭が窓辺にガラス製のオーナメントなどを飾り、ろうそくの火を灯す、といっていた。想像しただけでこころにも日がともるような、あたたかいクリスマスだ。

クリスマスではないが、日を近くして100万人のキャンドル・ナイトという素敵な取り組みもある。うちは子どもが小さく、電気を消す、といったら怖がったのでまだやったことはないが、ろうそくの炎を囲んで世界平和を思い、家族の絆も確かめ合えるようなこのイベントがもっともっと広がっていくといいな、と思っている。

うちの子は私の意見にいつも同調しているので、私がギンギラの家を見て、「ちょっとあれはやり過ぎだよね~」というと「そうだよね~。やり過ぎやり過ぎ。」といっている。でもやっぱり、「ねーねー、やりすぎのうちちょっと見たいな~。」というのが本音らしく、それはそれで子どもらしくてまあ、いいか。と文句をいいながらやり過ぎの家を見に行ったりした今年のクリスマスだった。

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