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払えよ!給食費!!!

また新聞にのっている!

給食費を払わないバカ親のこと!!!

もちろん生活が苦しくて困っている人のことではない。バカ親たちは、高級車に乗り、普通以上の生活をしているのに払いたくないから払わない、といっているというのだからあきれる。

その子どもは食べさせなければいいかというとそんなことはない。悪いのは親で子どもに罪はない。そんなことが原因でいじめが起こる可能性だってある。

そんな学校側の考えを逆手にとって、本当にずるい。人間として、親として、そんな姿を子どもに見せていいのか。

今は払っている子ども達が犠牲になって給食の質を落とすことで全員に供給しているというが、そんなことで払わないもん勝ちになってしまったら、私も私も、という人が増えかねない。そうしたら、本当に、本当にありがたい給食制度そのものの破綻につながってしまうかもしれないではないか。

忙しいお母さん、そうでないお母さんも、毎朝お弁当を作ることになってしまったらそれはもう大変なことだ。私には無理だ。

給食はプロの栄養士さんが考えた、食べて安心、栄養ばっちりの理想的な食事なのだ。

恥ずかしながら料理があまり得意でない私は、自分が作っている料理が子どもにとってバランスいいおいしい食事であるという自信があまりない。

食べている自分が時々貧血になったりするくらいなので、きっとバランスとして偏っているに違いない。

しかし、そこに1食給食が加わるだけでそれほど健康維持の点でたすかっていることか。

仕事柄私の昼食も毎日給食だがいつもその内容に感心する。

サラダにしても、汁物にしても、使っている食材の数を数えただけでとても家庭ではできないといつも思っている。もちろん味も健康を考えた薄味、しかもおいしい。

早い話が私は給食の大ファンなのである。そんな給食をいつも食べさせていただけることをすごくありがたいと思っている。

その給食をバカにする行為はばちあたりなのだ!!!

給食費を払わない皆さん、自分のことばかり考えて、ほかの人が困っていても関係ない、と思っているかもしれないけど、そんなことばかりしているといつか結局自分に降りかかって来るんじゃないですか?

それより何より、我が子に軽蔑されるようになってしまったら、お金よりも大切な物を失ってしまいますよ。

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30代を雇用して!

私は30代後半だ。

ベビーブームの数年手前、しかしそれなりに同世代の数が多く、大学に入るにも卒業後に仕事を探すにも競争率が高かった。

しかも大学在学中にバブルが崩壊し、それから経済は長い長い低迷の時代にはいっていった。

正月の新聞に、私たちの年代の記事が載っていた。

私たちの年代は、会社が人件費削減のために社員を減らしてきたおり、パートやアルバイト社員として会社を支えてきた人が多いという。現在の景気回復の陰にはそうした一人一人の努力があったのである。

しかしその記事には、企業の経営状態が安定してきても、その人達を社員として雇用する考えがない会社が多い、とあり、憤りを感じた。企業は、一から教育するのであればやはり若い社員がいいという考えなのである。誰のお陰で会社はやってこられたのか。従業員を大切にしない会社はそのうち自分の首を絞めることになるだろう。

私は幸い仕事には就いているが、同年代の同僚はほとんどいない。ずっと若いか、ずっとベテランの方々に挟まれている。

昔は友だちが少なくてつまらない、位に考えていたが、それだけではすまされない。今、私たちの年代はパパ、ママまっさかりだからだ。

少子化の歯止めに先が見えない日本。いま、子どもを育てるべき年代の人が、これでは子どもどころか、家族を持つこともできない状況だ。少子化対策のために、児童手当を手厚くしたり、子どもを預ける環境をととのえることはとても喜ばしいことだが、それよりなにより雇用だ。

人間が普通に家族を持って普通に暮らせる社会に一日も早くなって欲しいと願うばかりである。

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テレビは親子で

週末によく、子どもと図書館へ行く。

図書館では娘はきまってビデオを2本借りる。

アニメのビデオや「おかあさんといっしょ」などが多いが、暴力シーンの多い最近のアニメを見せるよりも図書館のものは安心して見せられる物が多い。

たとえば昔放映していた宮城真理子さんの「世界昔話」や、世界名作劇場など、子どもに見せながら自分も懐かしい気持ちで見ることができる。

その中に、ディズニーのドナルドダックのビデオがあり、ディズニーなら安心と思って借りてきたのだが、その内容にがっかりした。

子どものいたずらをほほえましく描いた作品だったのだろうが、全編を通してドナルドは自分の甥である小さなアヒルたちやミッキーの姿をした子ども達にいじめられていた。

ディズニー作品だけに、動きがユーモラスでテンポもよく、娘は夢中になって見ていたが、私は内心それを借りてきて失敗だったと思ってしまった。ドナルドが子ども達にやっつけられるたびに、娘も歓声を上げて笑っていたからだ。

そこで私は言ってみた。

「ママ、このお話きらいだよ。」

娘はびっくりしたように聞く。

「なんで?なんで?」

「だって、みんなでドナルドに意地悪してるじゃん。ドナルドかわいそうだよね。」

それを聞いて娘ははっとしたようだった。

「そうだよね、いけないんだよね。でも、ミッキーはドナルドをいじめてなかったね。」

ミッキーが大好きな娘はミッキーをかばった。

しかし、私はこのやりとりでとてもほっとした。

同時に、いろいろなアニメを有害だと決めつけて見せないようにするより、一緒に見て会話を通していろいろな考え方を育てた方がいい場合もあると言うことに気がついた。

もちろん、子ども一人で見せていたら会話も生まれないし、子どもはテレビの中の出来事を肯定し、影響を受けてしまうだろう。

以前、このブログで、今は子どもにとって不適切な内容のテレビ番組がおおく、見せないようにしたほうがよい、と書き、そのように私もがんばってきたが、見せないようにすればするほど見たくなるのが子どもでもある。それよりも、その内容についてこれはいいよね、これはやっちゃいけないよね、その理由もあわせて子どもと話し合うようにしたほうがいい、と考えを改めた。そうすることで、いずれは子どもが自分で番組を選べるようになるだろう。

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いじめを生む考え方

早いものでもう2007年になってから2週間が過ぎてしまった。

昨年は未来のある子ども達が相次いで自ら命をたつ、と言う痛ましい事件が続き、なんとも暗い気持ちで新年を迎えることになってしまった。

文部大臣がいじめに対する緊急アピールを出し、テレビでは特番を組んで有名人やアイドルが自分のいじめられた体験を語ったり、いじめに関わる人にメッセージを投げかけたりしている。

その中で、先日のSMAP×SMAPに、ヤンキー先生こと義家先生が出ていた。番組中YES/NOのアンケートで、「いじめられる側にも問題がある」という質問に[YES]と答えた子どもを怒鳴りつけていた姿が印象的だった。

「それじゃ、悪い奴はいじめていいのか!悪い奴は殺してもいいってこととおんなじだろ!俺はそんなの絶対許さないからな!!」

全くその通りだと思った。他人に嫌がられるような行為をする人は確かにいる。しかし、それがいじめていいという理由にはけしてならない。

しかし、そんな考え方をする子ども達ばかりを責めるわけにはいかない。そういう考え方をしてしまう環境を作っているのは私たち大人だからだ。

現在、私は養護学校に勤務している。先日、近隣の養護学校、特殊学級などと合同の発表会があった。のびのび、楽しく演技している子ども達の様子には感動させられるものがあったのだが、その出し物に私は疑問を感じていた。

たとえば、おなじみの「ももたろう」。善と悪に別れて良い方が悪い方をやっつける、と言う話。ほかの学校の出し物もこのパターンが非常に多かった。

障害をもった子ども達は残念なことだがまだまだ社会の中においては少数派であり、いわゆる社会的弱者である。そんな子ども達が社会へでていくには、その社会がどんな人たちも受け入れてくれる懐の広い社会でなければならない。そんな子ども達と関わっている教員が、悪い奴はやっつければいい、というような出し物を選んでいるのだから、教員もかなり感覚が麻痺してしまっているのではないかと思う。

それから、「ぎんいろのさかな」の話もあった。銀の鱗をもつ魚が、ほかの魚にその鱗をわけてやらなかったことで、誰にも遊んでもらえなくなる話だ。そして、反省して鱗をわけてやるとまた仲間に入れてもらえる。

これが人間だったらどうだろう。物をあげないと仲間はずれにされるのか。私にはなぜこの話がいい話といわれているかよくわからない。

毎度言うようだが、悪い奴に制裁を加えてもよい、という考え方は間違っているにも関わらず、それにならされている人は大人にも、ましてや教員の中にも多い、ということだ。

しかも人間関係はそんなに白黒はっきりしているものではなく、どちらが本当に悪いかと言うことは立場によって違うのだ。自分から見れば相手は悪い。相手から見ても同じ事。

そのことを周りの大人がまず気づいて、子どもに、相手の立場に立てる気持ち、相手の気持ちを想像できる力を育てていかなくてはならない。

それでも、いじめはなくならないと言う人もいる。

昔、藤子F不二雄の漫画に、「嫌われ屋」なる男が出てきていた。彼は宇宙船にクルーとして乗り込むのだが、やることなすこと人に嫌がられるような事で、彼の悪口を言うことでほかの乗組員が団結していく。実はそれは上司が雇ったプロの嫌われ役だったのだ。宇宙という危険な場所では、みんながまとまり力を合わせることが何より大切だからで、「嫌われ屋」は人間の、同一の敵がいると団結する習性に目を付けた商売だったのだ。

動物の世界にもいじめがあるという。私たちも動物である限りその習性から逃れられないのか。人間である以上、理性の力で克服できると信じたい。

自ら命を絶たざるを得なかった多くの若い魂のご冥福を心からお祈りいたします。

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