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わたしとネコ

わたしは、ネコアレルギーだ。

ネコの近くにいるだけで、くしゃみが止まらなくなり、だっこでもしようものならネコに触れたところが赤くなってかゆくてたまらなくなる。

小学校低学年頃まではなんともなかったのだが、ある時からそうなってしまった。

自分でもなんでそうなったのかさっぱりわからず、子供心に思い当たる節がないか探したのだが・・・・・・・。

結論としてその時に思い当たったのは、「ネコの祟り」だった。

小さな頃は動物ならなんでも好きで、捨て猫を見つけるとすぐに拾ってきたり、空き地で隠れて飼っていたりした。

そんなある夏の朝、兄が段ボールに入った5匹の子猫を拾ってきたのだ。

ちなみにその兄は拾ったはいいけどいつもほったらかし、隠れて飼ったりするのはいつも私だった。

子猫はまだ目も開けられず、頼りなげにミーミー泣いていた。

家は一軒家だったが、兄が喘息のだったため、動物は絶対に飼えなかった。

その時も母に見つかって「捨ててきなさい!」と一喝され、段ボールを持ったままうろうろ歩きながら、この猫たちを何とか育ててあげたい、と思ったのだ。

けれども捨ててこないと家へは入れてもらえない。

仕方なく家から1キロほど離れた森の中にネコの入った段ボールを置いて家に帰った。

その森の奥には畑があり、私は畑に行くお百姓さんがネコを拾ってくれることを期待したのだ。

ネコを捨ててしばらくは隠れてこっそりミルクを持っていったりしていたのだが、それもまた見つかってしまい、私はそこへ行くのを辞めてしまった。

きっと誰かに拾われてるさ、と思いたかった。

ところが、それから何ヶ月もたったころ、友だちといろんな話に興じていたとき、こんな事を話した子がいた。

「ねえ、ねえ、わたし、すごい気持ち悪い物見ちゃったの。森に散歩に行ったら、段ボールの中に子犬の骨がたくさん入っていたんだよ。」

一瞬聞いたときはわからずに、「えー、いやだ、こわーい。」なんて言っていたが、しばらくして、それはイヌじゃなくてネコだ、ということに気がついた。

友だちにどの森かを聞いたら、やっぱり間違いなかった。

普段なら恐い物、気持ち悪い物があったという話を聞くと、「よし、探検だ!」などと言って見に行く私であったが、とても見に行く気にはなれなかった。

自分が捨てた、とも言えなかった。

心の中では、ひたすら子猫に申し訳なかった。

子供心にショックは消えず、ネコのアレルギーになったときに「きっと子猫たちが怒ってるんだ」と思ったのだ。

自分では飼えないのに、いたずらに中途半端に情けを掛けたことも強く反省している。

つらい思い出であるが、命に対する責任みたいな物を初めて感じた出来事だった。

自分勝手な理由で、小さな命が5つも失われてしまったのである。

以来私は、動物はかわいいと思いつつも、ペットを飼うのには反対なのだ。

核家族化が進んでいる世の中で、命に触れる体験として、ペットを飼うのはいいことなのかもしれない。

その中で、ペットは飼育ゲームとは違う、生き物を育てるのは本当に忍耐のいることなんだ、ということを学ぶのも大切なことだと思う。

しかし、人間の趣味に、生きているものをつきあわせるのはあまりにかわいそうではないかと思ってしまうのだ。

私の兄の家でイヌを飼い始めたが、初めは世話をするといってねだった二人の子どもも今はしらんかお。

都合のいいときにだっこして楽しんでいるだけで、世話は義姉にまかせっきりだ。

世話といっても兄夫婦は共稼ぎなので昼間は檻の中でお留守番。

しかしイヌだからいいが、もしこれが我が子だったら同じような扱いができるのだろうか。

一人で毎日寂しく待たせておけるのだろうか。

ペットを飼うことは教育上とてもいい効果があるのだろうな、ということはわかっているのだが、ペットの身になると、とても自分の子には飼わせられない

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